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● 長沙市の湖南大学にそびえ立つ毛沢東。
72年田中角栄と会見した毛沢東は今日の中国の繁栄と日中関係の現状を予想しただろうか
● 08年3月、国民党政権再誕生をもたらした台湾総統選での民進党サイドの選挙演説車。
1972年は今日の「台湾問題」の複数の起源の一つとも解釈できる。
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レコードチャイナ 配信日時:2012年6月10日 9時9分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=61981&type=0
「1972年体制」の多面的な検証を―盛り上がらない日中国交回復40周年
1972年という年は、東アジアにおいて沖縄返還や日中国交正常化など現在の日本を取り巻く国際環境が固定化した年として一部で注目されており、昨年から、40周年を迎える今年にかけ学界や論壇の一部で「1972年体制」という言葉が注目されている。
しかし世間一般的にはこの「1972年体制」は、やや偏った形でしか注目を集めていないように思われる。
おそらくそれはこの問題の一つの中核をなす日中関係が、国交正常化40周年を迎えて良好になるどころか、むしろ表面的には悪化しているように見えるためではないだろうか。
■盛り上がらない日中国交正常化40周年
米軍統治下にあった沖縄が日本に返還されて40周年を迎えた。
5月中旬に行われた沖縄返還式典は、沖縄問題に対する高い注目をこれまでよりは集めたように思われる。
この日の式典の模様はNHKでも一部ながら生中継されたし、この日の前後にはやはりNHKや同BS中心に数々の特番が組まれた。
普段の日本国内の沖縄に対する冷遇ぶりから考えれば通常よりはきちんと扱われた面が大きく、筆者は、日本のいわゆる本土でも沖縄問題に対する理解はこれまでよりは深まったのではないかと考えている。
また、沖縄の人たち当事者からすればおそらくなお本土のメディアの扱いには不満の声もあろうが、中にはようやく溜飲を下げた人達もいるのではないだろうか?
★それに引き換え、と言いたくなるのが、日中国交正常化40周年である。
今この言葉をキーワードにしてインターネットで検索してみると、確かにこの節目を記念すべく組まれた行事は多数ある。
しかしそれも上位の方に来るのは、お役所などいわゆる当局系の催しか、一部の学術団体、友好団体によるものでしかない。
筆者の感覚で言えば、こういった一部の事例を除けば、2012年6月上旬現在で日中国交正常化40周年を何らかの形で記念しようという雰囲気は、中国と関わりのある一部層を除くと、日本社会一般の中ではほぼ皆無といっても言い過ぎではないのではないだろうか?
それどころかこれを祝うような空気にむしろ逆行するかのような動きばかり一見表面化しているように見える。
懸案の尖閣諸島の東京都による購入構想、都内で開かれた世界ウイグル会議への中国側からの抗議などだが、何と言っても一般的次元では一見してインパクトがあるように感じられたのは、駐日中国大使館前書記官の在日勤務時におけるスパイ疑惑であるだろう。
■スパイ騒動を検証してみると…
これは5月末に読売新聞を皮切りに各メディアが次々と報じたものでご存知の向きも多いだろう。
報道によれば、直接的には在日中国大使館の前一等書記官が身分を偽って外国人登録証を取得・更新していた疑いで警視庁が出頭要請していたが既に帰国済み。
しかしその後の調べでこの前書記官が日本の政財界に広い人脈を持ち、何と言っても農業関係の利権やビジネスチャンスを基に、交代後の民主党政権下において農水省関係者と特に近い関係にあり、農水副大臣室にまで出入りしていた―などとされる問題だ。
筆者も食事中のファミレスで第一報を読み当初はそれなりの衝撃を受けた。
しかし日が経つにつれ、筆者の場合、これがそうたいしたことだろうか、との疑念も強まっていった。
というのも、一つには別に中国が相手だからというわけではなく、どこの国でも外交官というものはこの手の、ちょっとタイミング次第によってはスパイ活動とも受け止められかねないグレーゾーンの活動をしているであろうことは容易に想像がつくからだ。
スパイ活動を肯定するわけではないが、そもそもこうしたインテリジェンス、カウンターインテリジェンスの活動なしには国際政治は成り立っていかない。
まして中国の場合、日本での立件数そのものは多くはないとはいえ、社会体制の違いもありかなりの頻度でこうした活動が半ば公然と行われていても不思議ではないし、現に立件されないまでも多々行われてきたはずである。
さらに今回の容疑に関して言えば、件(くだん)の前書記官は十分な活動資金を供与されておらず、自分の力で活動資金を捻出していたことになる。
ただ一方で、実はスパイなど目的ではなく単に私腹を肥やしていただけではないかとの声もあるし、げんにそうした疑問をストレートに提起した週刊誌もあった。
とすると今回の報道には別な狙いがあったのではないか、と勘ぐりたくもなる。
確証はなく勝手な推量にはなってしまうが、筆者が第一に想定したのは日本国内の文脈で、はっきりいえば現政権の農水関係者への追及を手始めに民主党つぶしを目論む勢力がリークしたのではないかということだった。
ではそうした勢力はどこかといえばまず自民党だろうということになるし、げんに筆者の予想したとおりこの疑惑報道は自民党による民主党追及という事態へとつながりつつある。
が、それこそ国交正常化40周年ということを考えると、さらにアクロバティックな深読みもできそうだ。
民主党は、日中国交正常化の立役者の娘を党内に抱えているとはいえ、経験が浅く対中ルートがきちんと確立されているとは言いがたいように思える。
それに比べるとやはり自民党は国交正常化以来の対中ルートという資産があり、中国からすると実は自民党のほうが与(くみ)し易い相手である可能性が高い(とするとこの点自民党はいわば台湾の国民党にも似ていることになる)。
だとすれば民主党にとって困難な方向へと舵を切ったのは、自民党以前に中国側のいずれかの筋である可能性もひょっとすると出てくる。
もっともその読みがかりに当たっているとすれば、それは手の込んだ「内政干渉」ということにもなってきかねないが…
★"床屋談義"からあえて離れて
ただしこの読みも現時点では裏付ける証拠に乏しく、床屋談義に過ぎない。
そして今重要なことはそうした床屋談義に興じることではない。
はたまた表面的な友好関係を演出することでもない(ことわっておくが筆者はもちろん中国との友好関係維持に反対ではなくむしろその逆だが「表面的な演出」には批判的である)。
今重要なことはそうした枝葉末節にとらわれず大局を見ること、すなわちこの文章の文脈で言えば、現在の視点から40年前の出来事の歴史的関連性を読み解いていくことではないか。
そうすると、沖縄返還と日中国交正常化が同じ年であることは偶然ではなくなんらかの関連性があるのではないかという問いが浮上してくることになる。
実はこの2つの連関性について論じた論考は少数ながら既にあるので詳細はそちらに譲ることにするが、にしても沖縄返還をめぐる今日の言説の中で、同じ年の日中国交正常化がさほど言及されないのは、この2つの出来事の関わりについての理解が、少なくとも世間一般的にはさほど根付いていないことを物語るものではあろう。
この現状からすると、この2つはより大きな文脈から関連付けて論じられる必要があるのではないか。
それから日中国交正常化40周年とはとりもなおさず日華断交40年、すなわち台湾(中華民国)との正式な外交関係がなくなってから40年経つということでもある。
筆者は政治的な意味では中国大陸、台湾いずれにも肩入れするシンパではないと自負するが、それでもこの連載の趣旨からすれば言及しておくべき点ではあり、角度を変えて東アジア現代史を読み直す場合にも必要な視角であるだろう。
こうして1972年という節目に様々な角度から光を当て直すことによって、初めて「1972年体制」が、勝手に独り歩きする言葉ではなく実質的な意味を持つ言葉になるのではないだろうか。
(本田親史/国士舘大アジア・日本研究センター客員研究員<PD>)
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中国が不毛な恫喝外交に終始している限り、周辺諸国との友好は望めない。
初めて手に入れた「大国中国意識」を誇ってみたいのはわかるが、それでは周りがついてこない。
逃げ出してしまう。
フィリッピンが強行に中国に盾をついたり、中国と条約をかわして親中国家と見られていたロシアのリムパック参加など、いろいろある。
中国はしばらくは、この意識の発酵が続くだろう。
その間はギクシャクのトラブルが続く。
そして、この発酵が終わり、意識が沈静化して、内的に大国意識が出てきたときに、中国は世界に認められるようになる。
今は残念ながら、金あり力ありのボス猿にしかすぎない。
「大国意識発酵中!」
それが、現在の中国の姿である。
発酵が納まるまで待つしかない。
その間、周辺諸国は目を離さずにガードを固めておくことが肝要だろう。
こういう時期には、どの国もそうだが何かのきっかけで暴れ出すことがある。
日本もそうだったから、わかりやすい。
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