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● ユーロ崩壊への足音
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ロイター 2012年 06月 1日 10:33 JST
http://jp.reuters.com/article/jp_forum/idJPTYE85000M20120601
オピニオン:ユーロ崩壊と円高の終焉は近い
私は、自他ともに認めるマーケットパーソン(市場人間)である。
したがって、今から語る内容は、理論家としてではなく、実務家として培った知識や経験に基づく見解であると理解していただきたい。
■世界はまだ真の変動相場制に移行していない
まず私の率直な問題意識を伝えれば、現在の世界の為替市場は根本的な問題を抱えており、極めて危うい状態にある。
なぜ危ういかと言えば、変動相場制が採用されていないか、もしくは機能していない国や地域が多く、為替レベルと実体経済との乖離(かいり)が発生しがちだからだ。
乖離すればするほど、そのギャップというか、「おでき」は膨らみ、それが破裂したとき、マーケットや世界経済に走る衝撃のスケールも増大する。
目下の最大の懸念は「地域固定相場制」のユーロだろう。
固定相場制の最大の弱点は、各国の中央銀行に独立した金利政策の放棄を強いる点にある。
経済格差のある多くの国々の間で金利政策を放棄すれば、経済運営がうまくいくはずがないのは自明の理なのに、欧州諸国は「壮大な実験」という名のもとに、失敗のリスクが高い大冒険に乗り出してしまった。
詳しくは後述するが、ギリシャ問題を導火線として、
ユーロは崩壊への道をたどる可能性が高い
と考えている。
次に、
安い通貨を武器に輸出主導で急成長を遂げた中国
も、その為替制度は変動相場制に程遠い。
円の高騰に伴い国力を低下させていった日本を反面教師として、実態に合わない通貨高の不利益を学習したのか、米国や国際社会がいくら切り上げを要求しても、お茶を濁す程度しか切り上げない。 .
人民元の水準は、今や実体経済に対してあまりに安すぎる。
固定相場制維持のための資本移動規制にも限界がある。
仮に中国のおできが破裂して、大きな調整が一気に進むようなことになれば、世界経済混乱の火種となるのは必定だ。
また、変動相場制を採用しているようで、実はそれが機能していない国もある。
日本はその典型例だ。
為替とはそもそも国力の通信簿であり、国の力が強くなれば通貨も強くなり、弱くなれば通貨も弱くなるはずなのに、円は1985年の「プラザ合意」以降、多少のブレはあるものの、経済ファンダメンタルズに関係なく一貫して強くなっている。
1981年と比べると、人民元がほぼ4分の1になったのに対して、円は2.7倍になった。
まるで「円高という固定相場制」だ。
企業が海外に工場を移し、日本人が職を失うのも当然だ。
このように多くの国や地域で、為替レベルが経済実態に合っておらず、おできが膨れ上がっている。
ユーロ危機を見ると、それがついに破裂する瞬間が近づいている気がする。
■ユーロはあと10年持たないだろう
では、ここでまず現在最大の火種となっているユーロについて、持論を述べておきたい。
実は私はかねてよりユーロ懐疑論者だった。
1999年にユーロが導入されるまでは独マルクや仏フランなど欧州各国の通貨や国債をそれなりに取引していたが、発足後はいっさい止めた。
理由は、純粋に上述したようなユーロという地域固定通貨制度が持つ構造問題に対する懸念からである。
もちろん、私は評論家ではなく、ディーラーだったので、欧州統合への過信というある種のユーフォリズムを背景に通貨ユーロがかなり強くなる前に買っておいて、いいところで売るべきだった。
その点では、ディーラー失格だ。
しかし、ギリシャ危機を経て、私の懸念が正しかったことは証明されたと思う。
話は脱線するが、北海道夕張市の財政問題が世間で大きくクローズアップされた頃(同市は2007年3月に財政再建団体に指定され、事実上財政破綻)、当時大学生だった息子からこう聞かれたことがある。
「東京都と夕張市には経済格差があり、同じ円という通貨を使っている。
しかし、ユーロ圏とは違い、夕張市の財政問題が円の崩壊懸念につながることはない。
円とユーロでは何が違うのか」
と。
私は、こう答えた。
「夕張市が破綻しても、東京人の税金で助けることができる。
財政が一つだからだ。
しかし、国が違う(=財政が一緒ではない)ユーロ圏ではそれは無理だ」。
今まさにこの問題がユーロを直撃している。
ドイツとギリシャが一つの国ならば、ギリシャの財政問題がユーロの崩壊懸念にまではつながらない。
しかし、そうではないから問題なのだ。
私の予測に反して、ユーロ圏が財政まで一つに統合すれば、ユーロ崩壊はないだろうが、本当にそんなことが可能だとは思えない。
となれば、率直に言って、
現在の体制のままであと10年ユーロが持続することは難しい
だろう。
むろん、その過程では、ユーロ中核国からなる「ティア1」と、出たり入ったりするトレーディングパートナー的な位置づけの「ティア2」からなる二層構造への移行が図られるなど弥縫(びほう)策も模索されるかもしれないが、
最終的には持ちこたえられない
だろう。
当然、ユーロ崩壊は、とてつもない衝撃とストレスをマーケットや世界経済に与えることになると予想される。
1971年のニクソン・ショック(金ドル交換停止など)をも凌ぐ混乱をもたらすのでないか。
ただ、長い目で見れば、ユーロ圏各国とも自国通貨の復活によって、景気が弱くなれば通貨が安くなり景気を押し上げる、逆に景気が過熱すれば通貨が高くなり景気を押し下げるといった自国経済の自動安定化装置を取り戻すことができるわけで、得策であるはずだ。
むろん、観光業以外にたいした産業のないギリシャの場合、ユーロから自国通貨ドラクマに切り替えたときの打撃は甚大だろう。
ドラクマの価値が急落し、ハイパーインフレに陥り、欧州の最貧国へと転げ落ちるのは必定だ。
しかし、歳月を経て、やがては通貨安を武器に頼みの綱の観光業などが牽引し経済が復活していくはずだ。
その結果、ドラクマの価値も上がっていく。
市場原理とは、そういうものである。
■円高という固定相場制の終焉
さて、おできの問題は、日本も無縁ではない。
一見、変動相場制を採用しているように見えて、実は機能していない国の典型が日本であると先ほど述べた。
実際、多くの外国人が指摘するように、日本こそ世界最大の社会主義国家であり、実質的には固定相場制の国なのである。
そうでなければ、経済ファンダメンタルズと乖離した長期円高トレンドの持続は説明がつかない。
普通、経済が下降して魅力的な投資案件が国内から失われれば、資金はより魅力ある海外に流れるはずだ。
変動相場制が機能していれば、そこで円安に切り替わったはずである。
ところが、それが起きなかった。
為替が国力を反映して動かないのは、この国が真の資本主義国家ではないからだ。
資本主義が徹底されていたら、超低金利の日本国債にこれほど投資が集まり続けるわけがない。
預かったお金の8割を国債で運用している実質国営のゆうちょ銀行の存在に象徴されるように、市場原理が無視され国内に資金が滞留したことが、実体経済から乖離した円高の原因なのである。
しかし、このおできも、もはやこれ以上の膨張は許されまい。
どこかのタイミングで、事の深刻さが強く認識され、国債が暴落し、急激な円安に転じる可能性が高いと思う。
しかし、繰り返すが、長い目で見れば、それは悪い話ではない。
円安が進めば工場も戻ってくるし、観光などサービス業の国際競争力も回復する。
魅力的な投資物件も生まれ、ハードランディング後に逃げ出した資金も再び日本に戻ってくるだろう。
そしてその結果、今度は円高にシフトする。
市場原理が偉大であるゆえんだ。
なお、最後に補足すれば、私は20年後もドルは世界の基軸通貨であり続けると考えている。
輪転機を回すだけで世界の富を買えるという特別の立場を米国が手放すはずがない。
ドル凋落の根拠として、貿易赤字(経常赤字)と財政赤字の「双子の赤字」問題に言及する人が多いが、それは実は多くの先進諸国に当てはまる論理だ。
日本もすぐにではないにせよ、やがては慢性的な経常赤字に転落する可能性がある。
ドルだけが弱くなる特別の理由はないのだ。
ドル基軸通貨体制の崩壊論を説くよりも、むしろ多くの通貨が弱くなる、つまり世界的なインフレの足音が近づいていると捉えるべきなのではないだろうか。
いずれにせよ、20年後の為替市場は、各地でおできの破裂を経て、真の意味での変動相場制に移行していると思う。
そうなると、世界経済が不安定化するとの見方も出てくるかもしれないが、私の見解はその逆だ。
先物、オプションなど、為替のデリバティブが大いに発達し、個人や企業がヘッジ手段としてデリバティブを多用するようになり、より効率的な変動相場制が確立するとみている。
そうした仕組みは、必ずや世界経済の安定化に資するはずだ。
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藤巻健史 フジマキ・ジャパン代表取締役
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藤巻健史氏は、フジマキ・ジャパン代表取締役。
米モルガン銀行在籍時、世界トップクラスのディーラーとして名をはせ、1995年に当時外銀では日本人唯一となる東京支店長に抜擢された。
2000年に退社。ジョージ・ソロス氏のアドバイザーを務めた経験もある。
*本稿は、個人的見解に基づいています。
コラムニストによって提供されたいかなる見解又は意見は当該コラムニスト自身の見解や分析であって、ロイターの見解、分析ではありません。
』
なにか、遙か昔の苔むした近代経済学の古典を勉強しているような錯覚に陥る。
市場原理が絶対で、それに合わない実勢が間違っているといった論調である。
そして市場原理が正しく動けばすべて解決するとといったたぐいの説である。
「市場原理は正しく動作しないというのが、今の市場原理である」
ということを忘れしまっている。
さらに言えば、永久に近代経済学の市場原理は不純物を含んだ形でしか動作しないということである。
そして、市場原理が正しく動作しないのは、社会主義国家だからだという穴蔵に逃げ込んでしまう。
ということは、この人の言う市場原理とは、実勢的な市場原理ではなく、あらゆる雑挟物を取り除いた絶対に市場に現れることのない市場原理だ、ということでもある。
まあ、ひとそれぞれおのが考えで行動するのだからそれはそれでいい。
『
ロイター 2012年 06月 5日 12:51 JST
http://jp.reuters.com/article/jp_forum/idJPTYE85402420120605?pageNumber=1&virtualBrandChannel=0
歴史はまさかの連続、ユーロ自壊の現実味
オピニオン:浜矩子同志社大学大学院教授
[東京 5日 ロイター]
ユーロ消滅――。
このような予測を少しでも口にすれば、「まさか」と一笑に付されるのが落ちだろう。
しかし、その「まさか」が起こりがちなのが、歴史である。
大英帝国の最盛期だった19世紀に、パクス・ブリタニカの終焉や英ポンドを中心とする金本位制の崩壊を予測すれば、きっと多くの人が鼻で笑ったはずだ。
米ドル中心の固定為替相場制を軸とするブレトン・ウッズ体制が確立された第2次世界大戦末期に、早々と金ドル交換停止(1971年のニクソン・ショック)を予測したところで、同じだったろう。
今や固定相場制に土地勘を持たない人のほうが圧倒的に多くなったが、世界の為替システムが全面的な変動相場制にシフトしていくなど、半世紀前ならば「まさか」の一言で片づけられていたはずだ。
そう考えれば、もともとバラバラだった通貨を無理やりくっつけたユーロが崩壊するシナリオなど、「まさか」度が低いというものだろう(ましてや、ギリシャ離脱の可能性などは)。
これは1999年のユーロ導入前から私が指摘してきたことだが、単一通貨推進のロジックは、お世辞にも、まともとは言えないものだった。
推進派は
「通貨をひとつにすれば、国々の経済実態は強制的に平準化の方向に誘導される」
とした。
しかも、
「人・モノ・カネの行き来が活性化し、成長効果も中心部から周縁部に波及するので、良い方向に収斂(しゅうれん)する」
と。
二度の世界大戦を引き起こした反省から恒久平和のために欧州統合の深化を進めるという大義名分の下、ユーロは生まれたが(実態はドイツ封じ込めだが)、その政治的意気込みを支える経済のロジックはあまりにもお粗末だった。
連動して悪くなるシナリオからは目をそむけていたのだ。
ここで改めて説明するまでもないだろうが、ユーロ加盟国の経済実態はもともとバラバラであり、単一通貨を共有できるような条件は成り立っていなかった。
だから、一番脆いところにひびが入り、だんだんと核心部に向かって亀裂が広まっていくという、予定通りというか、理屈通りの展開になっている。
この理屈に従えば、経済の力学から言って、最終的なところまで行きつく可能性が高い。
その力学に政治が必死に抗っているというのが今の状況だろう。
しかし、しょせんは時間稼ぎだ。
目先の危機的状況を封じ込めたとしても、またしばらくすると、弱いところから亀裂が走ることになるだろう。
それは、またもやギリシャ発かもしれないし、スペイン、あるいはイタリアから始まるかもしれない。
そして、炎が上がるごとに、ドイツが火消し役をつとめるように迫られる状況が繰り返されるだろう。
率直に言って、ユーロを持ちこたえさせようとするならば、欧州各国は、表立って認めたくなくとも、パクス・ゲルマニアを受け入れるしかない。
ただ、肝心のドイツにその用意はあるのだろうか。
嫌われるのも嫌だろうが、他国の財政問題を背負い込んでいくことになれば、経済的負担は計り知れない。
いつまで我慢できるのか、どこらへんでドイツの堪忍袋の緒が切れるのかという問題がある。
離脱の先陣を切るのがドイツで、それがきっかけとなってユーロが空中分解に追い込まれるといった「まさか」も、もしかしたらあるかもしれない。
あるいは、そこまで行かずとも、現時点で「まさか」の部類に入る大きな設計変更がなされる可能性はあるだろう。
たとえば、次の3つのシナリオが考えられる。
第一に、ユーロ圏への複数金利の導入だ。
つまり、加盟国をひとつの政策金利で束ねる現在の体制を改めて、各国がそれぞれの経済実態に即した(=身の丈に合った)金利を採用する余地を残す。
第二に、ユーロ圏の複数リーグ化だ。
メジャーとマイナー、しかもマイナーも多岐に分かれる米大リーグのごとく、同種類のボール(ユーロ)を使いながらも、価値はリーグごとに異なる。
最後は、ユーロ発足以前に存在した欧州通貨制度(EMS)の復活だ。
すなわち加盟国間で通貨変動を一定の範囲内に抑えるよう目指す半固定相場制度への回帰である。
ただ、この選択肢は、単一通貨ユーロの崩壊と同義と言えよう。
また、1992年の英ポンド危機のように、投機筋に特定の通貨が狙われる可能性がある。
いずれにせよ、現在のユーロの体制のままでは、ひずみは溜まり、一気に放出されれば大きなショックを発生させかねない。
その結果、世界がより深刻な「まさか」に見舞われないことを祈るばかりだ。
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*浜矩子氏は、同志社大学大学院ビジネス研究科長・教授。
三菱総合研究所のロンドン駐在員事務所長、経済調査部長などを経て、現職。
*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。(here)
*本稿は、個人的見解に基づいています。
*このドキュメントにおけるニュース、取引価格、データ及びその他の情報などのコンテンツはあくまでも利用者の個人使用のみのためにコラムニストによって提供されているものであって、商用目的のために提供されているものではありません。このドキュメントの当コンテンツは、投資活動を勧誘又は誘引するものではなく、また当コンテンツを取引又は売買を行う際の意思決定の目的で使用することは適切ではありません。当コンテンツは投資助言となる投資、税金、法律等のいかなる助言も提供せず、また、特定の金融の個別銘柄、金融投資あるいは金融商品に関するいかなる勧告もしません。このドキュメントの使用は、資格のある投資専門家の投資助言に取って代わるものではありません。ロイターはコンテンツの信頼性を確保するよう合理的な努力をしていますが、コラムニストによって提供されたいかなる見解又は意見は当該コラムニスト自身の見解や分析であって、ロイターの見解、分析ではありません。
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『
日経新聞 2012/6/7 7:00
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM0605B_W2A600C1000000/
[FT]パニック寸前のユーロ圏、見えない解決の道
2007年6月の時点で、2012年6月1日には10年債利回りが英国で1.54%、米国で1.47%、ドイツでは1.17%になると言われたとしよう。
加えて、政策金利(短期金利)は米国と日本でゼロ、ユーロ圏で1%になると言われたら、どう思っただろうか?
恐らく、世界経済は恐慌に陥ったと考えたのではないか。
1930年代のような恐慌を思い描いたら間違いだったが、実際に作用している力は想定通りだったろう。
西側諸国は抑制された恐慌に陥っている。
さらに悪いことに、もう一段の景気下降をもたらす作用が、ユーロ圏で特に高まりつつある。
一方で、政策立案者はとてつもなく大きな間違いを犯している。
■民間部門が資金余剰にシフト
経済の弱さを示す最も強力な指標であり、弱さの直接的な原因でもあるのが、民間部門の資金過不足(家計と企業の所得と支出の差)が資金余剰の方向にシフトしたことだ。
債務を抱え、おびえた人々の支出削減は、西側経済を衰弱させた。
ドイツなど直接影響を受けていない国々でさえ、間接的にパートナー諸国の大規模な緊縮の影響を被っている。
国際通貨基金(IMF)によると、2007年から2012年にかけて、米国の民間部門の資金過不足は国内総生産(GDP)の7.1%分だけ資金余剰に振れるという。
振れ幅は英国でGDP比6.0%、日本で同5.2%に上る一方、ユーロ圏では同2.9%にとどまる。
だがユーロ圏には、持続的に民間部門が資金余剰の国(特にドイツ)や、民間部門の資金過不足がほぼ均衡している国(フランスやイタリアなど)、資金余剰に大きく振れた国がある。
スペインでは予想される振れ幅がGDP比15.8%に上る。
一方でIMFによると、新興国も今年、4500億ドルの資金余剰になる見通しだ。
■1930年代の危機の再来か
このような世界では、需要は乏しくなるだろう。
拡張的な金融政策を取り、多額の財政赤字を容認する意思は、恐慌を封じ込めただけでなく、弱い景気回復さえ誘発した。
だが、前例のない金融政策と巨額の財政赤字が力強い回復をもたらさなかった事実は、各国経済を落ち込ませた力がいかに強力だったかを示している。
これは、先行して大規模な資産価格バブルと大幅な債務拡大が生じた巨大な金融危機の遺産だ。
危機において金融は中心的な役割を果たす。
危機に向かう途中には高揚感を生んで過度な支出と借り入れを招き、下降局面ではパニックと支出削減、デレバレッジング(負債圧縮)を引き起こす。
金融の安定性に対する疑念は、債務者の支払い能力についての認識に左右される。
この疑念は、住宅を担保としたローンが懸念の焦点だった2008年終盤にピークに達した。
現在はユーロ圏内の出来事が悩みの種で、システミックな危機の際に投資家が救済を当てにする国家も問題を抱えた債務者だというひねりが加わっている。
金融の安定性についての疑念が安全性への逃避を招いており、ドイツやユーロ圏外、米国や英国など金融の主権を保持している国に資金が流れている。
忘れられがちなのは、1931年にオーストリアの大銀行クレジットアンシュタルトの破綻が大陸全土で銀行破綻の波を引き起こしたことだ。
結局これが金本位制の終わりの始まりになり、大恐慌そのものの二番底となる景気下降を招いた。
現在の恐怖の的は、今の世界で以前の金本位制に最も近い体制であるユーロ圏の内部で、銀行や国家の破綻の波が同様な崩壊を起こしかねないことに違いない。
ユーロ圏が破綻すれば、欧州、さらには世界の金融システムに大混乱が生じ、現在は恐慌を封じ込めている壁をも倒す恐れがある。
■恐怖が恐怖を呼ぶ状態に
この恐怖はどれくらい現実的か?
相当現実的と言える。
理由の1つは、あまりに多くの人がそれを恐れていることだ。
パニックの時は恐怖そのものが力を持つ。
不安を和らげるには、行動する意思と力があり、規模に制約を設けない最後の貸し手が必要だ。
ユーロ圏にそのような貸し手がいるかどうかは不透明だ。
苦境に陥った国々を支えるはずの合意済みの基金は多くの点で限界がある。
欧州中央銀行(ECB)は理論上は規模の制限なしで行動できるが、対処が必要な取り付け騒ぎが大きすぎると、実際にはそうはいかないかもしれない。
多くの人はこう考えるに違いない。
巨大な取り付け騒ぎが起きた際、ドイツ連銀が他国の中央銀行に与える用意がある(あるいは、与えることを許される)融資の上限はどれくらいか?
深刻な危機下では、各国政府はもとより、ECBでさえ効果的に行動できるのか?
さらに人々は重要な国でも銀行と政府が重度のストレスにさらされていることを知っている。
これらの国は早期に成長に回帰する見込みはなく、上昇し続ける高失業率のコストに苦しんでいる。
銀行問題で助けを求めるスペインの最後の叫びほど、このストレスを如実に表す兆候はない。
政治体制もストレスを受けている。
ギリシャでは脆弱な民主主義が崩壊した。
一方でドイツ政府は改めて追加支援への反対姿勢を示しているようだ。
ストレスを受けている国は、どれほどの苦痛に耐えられるのか?
誰も分からない。
どこかの国がユーロ圏から離脱したら何が起きるのか?
誰も分からない。
ドイツさえ離脱を検討する可能性はあるのか?
誰も分からない。
危機から脱出する長期的な戦略は何か?
誰も分からない。
こうした不確実性を考えると、パニックは残念ながら合理的だ。
雑多な国々が裏づけする法定貨幣は救い難いほど脆弱なのだ。
■パニックを取り除けない政治家
筆者はこれまで、1930年代のような事態がどうしたら起こるのか、本当には理解していなかった。
今では分かる。
脆弱な経済と硬直化した通貨体制、対策を巡る激しい議論、苦しみは良いことだという発想のまん延、近視眼的な政治家、協調の失敗や事態に先手を打てない状態――。
これだけそろえば起きるのだ。
もしかしたら、パニックは消えるかもしれない。
だが、現在のレートで債券を買っている投資家は、ダウンサイドリスクに対する強い嫌悪感を示している。
政策立案者たちは、パニックをあおるのではなく、取り除かなければならない。
ユーロ圏では、政策立案者たちがそれに失敗している。
プレッシャーを受けている国々が自国を救えない時に、信用力の高い国が支援するのを拒んだら、システムは間違いなく滅びるだろう。
それが世界経済にどんなダメージを与えるかは誰にも分からない。
だが、知りたいと思う人などいるだろうか?
By Martin Wolf
(翻訳協力 JBpress)
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