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朝鮮日報 記事入力 : 2012/06/03 09:27
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/06/03/2012060300105.html
【コラム】漢字とハングル、どちらがふさわしいのか
新たに書くのか昔の字体から選ぶのか…難題山積
「ハングルVS漢字」の「語文論争」に
「復元」の範囲はどこまでなのか国民的合意引き出すべき
新たに作り直す光化門の懸板(門や鳥居などの高い位置に掲げられる扁額〈へんがく〉のこと、表札)の文字をめぐる問題は、今やハングルと漢字の「語文論争」にまで発展している。
光化門の懸板に関する意見を交換するために開かれた先日の公聴会では「クァンファムン」とハングルでの表記を主張する陣営と「光化門」と漢字での表記を主張する陣営が真っ向から対立し、大声や罵声が飛び交った。
見るに見かねた聴衆は
「まるで電気のこぎりやハンマーが登場する国会討論を見ているようだ」
とあきれる始末だ。
そうでなくても、光化門の懸板の文字をめぐる問題は、難題が山積している。
2010年に光化門が復元されてから、わずか3カ月で懸板にひびが入ってしまった
ことで、これを機に字体も新調したいとする世論が浮上し、これまで検討作業が進められてきた。
しかし、懸板の文字を新たに誰かに書いてもらうか、あるいは過去に使用された文字の中から3文字を選んで組み合わせるのか、という問題をめぐり、話し合いは難航した。
さらに、この問題が解決されたとしても、新たに書くとすれば誰が書くのか、過去の文字を集めて組み合わせるとすれば誰の字体を選ぶべきなのか、自己主張の強い人が多い韓国社会では、難題中の難題となっている。
こうした中、ここ50年にわたって論じられてきた問題の一つ
「漢字か、ハングルか」
という問題が浮上したのだ。
今では、光化門の新しい懸板を年内に掲げることができるかどうかさえ、断言できない状況に陥っている。
文化財庁が光化門の懸板の文字をめぐる第1回公聴会を開催した際に、テーマを「漢字か、ハングルか」としたことが、まさに火に油を注ぐ結果となってしまった。
文化財庁は昨年末、光化門の懸板に対する国民世論調査を実施した際にも、漢字かハングルかを一番目の質問事項に掲げた。
光化門の懸板問題は、ハングルと漢字の語文論争とは次元が異なる問題だ。
懸板をハングルで仕上げたからといって、ハングル専用論が勝利を収めるわけでもなく、「光化門」と漢字にするからといって「ハングル・漢字の混用論」(国漢文混用論)や「漢字効用論」が勢いを増すわけでも決してない。
今回の件は、単に光化門を150年ぶりに修復するに当たり、懸板を新たに作り直す過程で、これに最もふさわしい字体が何なのかを話し合っているにすぎないのだ。
今最も優先すべきことは光化門の復元に関し、その「復元」の範囲をどこまでにするかという問題について、国民的合意を得ることが先決だろう。
現在復元された光化門は、大院君(朝鮮王朝第26代王高宗の父)が景福宮を改築した1865年当時の姿を取り戻すために、コンクリートの建築物を木造に替えたほか、従来の道路を変更することで、ずれてしまった角度も修正している。
このように「元来の姿を取り戻す」という意味での復元に徹するなら、懸板の字体もやはり、大院君による景福宮改築の際に工事責任者を務めた訓練隊長の任泰瑛(イム・テヨン)が書いた「光化門」の懸板文字をそのまま使用することが正しい選択だろう。
問題は当時、任泰瑛が書いた字体が拓本の形でも残っていないということだ。
文化財庁は苦肉の策として、現存する100年前の光化門の写真をベースに任泰瑛の字をデジタル技術で加工し再現したが、専門家たちからは
「字が死んでいる」
「味気がない」
と不評を買っている。
景福宮をはじめ、昌徳宮、昌慶宮、慶喜宮、慶運宮(徳寿宮)の朝鮮王朝時代の5大宮の大門に掲げられた懸板が、どのような字体で書かれていたのかを参考にすることも、一つの方法といえるだろう。
崇礼門や興仁之門など朝鮮王朝時代の4大門と宮廷の大門に掲げられた懸板の字体には、書く人は違っても共通した流れがあるという。
光化門の懸板の字体も、こうした流れに最大限合わせるという原則さえ守れば、その他の問題も解決できるはずだ。
新たに作り直す光化門の懸板は、現代が後世に残す文化財だ。
自分の主張を貫くために青筋を立てるのではなく、他人の話に耳を傾けながら譲歩して合意し、最善の結論を導き出そうとする知恵が必要だ。
これは何も文化財庁に限ったことではなく、
この時代を生きる人々が皆、試されている
ことなのだ。
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世界でもっとも優秀な言語ハングルと、それを作った世界で最も優秀な民族韓国人、
ということでこれまで世論は高揚していたのだが。
どうも経済の陰りがしのびよってきたら、それにつれてだんだんと自信がなくなりつつあるようである。
わかりやすい民族である。
そして相変わらずの妄想癖。
笑うしかない。
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レコードチャイナ 配信日時:2012年7月3日 19時19分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=62634&type=0
ハングルが3000年前から使われていた証拠、発見される
=中国の古貨幣から―韓国メディア
2012年7月2日、韓国の聯合ニュースは、ハングル文字が3000年前からすでに使用されていたことを示す証拠を、韓国の学者が発見したと報じた。
環球時報(電子版)が伝えた。
驚きの証拠を発見したのは、周王朝(紀元前1046年頃~紀元前256年)に成立した中国の書物「周易」を研究している韓国の専門家、イ・チャング博士。
著書「銭」の中で、中国古代の貨幣である「尖首刀」(せんしゅとう)に2つのハングル文字が刻まれているのを発見、うち1つは「銭」という意味であることを突き止めたと発表した。
イ博士によると、中国古代貨幣の研究家、李佐賢(リー・ズオシエン、1807~1876年)が光緒元年(1875年)に著した「続泉匯」のほか、中国で出版された「燕下都東周貨幣聚珍」(1996年)と「中国銭幣大辞典:先秦編」(1995年)にもハングル文字が刻まれた尖首刀の拓本が掲載されていたが、いずれの著者もこの2つの文字がハングルであることに気付かず、「未知の文字」に分類されていた。
同博士は、この尖首刀はおよそ3600年前に遼西(現在の河北省と遼寧省の一部)にあった壇君朝鮮の諸侯国の1つである孤竹国で作られたものと推測。
この孤竹国については、独立運動家、シン・チェホ(申采浩、1880~1936年)が
「孤竹国人はかつて朝鮮半島に住んでいた」
との見方を示しているという。
また、朝鮮半島に現存する最古の歴史書「三国史記」に、高句麗はこの孤竹国の伝統を継承する国と記載されていることから、ハングル文字は少なくとも3000年前から孤竹国一帯で使用されていたと考えられる、と同博士は結論付けた。
同博士は
「ハングル文字はモンゴル文字など外国の文字を参考にして作られたもの。
アルタイ諸語には属さない」
と指摘。
ハングルはこれまで、李氏朝鮮第4代国王の世宗が1443年に「訓民正音」として発表したとされていたが、
「これより前に出現していたことになる」
としている。
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